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祖母の死で後悔した・学んだ5つのこと|ああすればよかったと悔やまないために

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数年前、祖母を衰弱死で亡くしました。

その際に「ばあちゃんにこうしてあげていればよかった」と感じたことを書きます。

これを書いたところで何もならないんですが、わたし自身への戒めや懺悔の意味を含めて残しておこうと思います。

また同じような思いをしないで済むように。

他の人にもわたしと同じ後悔をしないように願いを込めて。

祖母について

本題に入る前に少し祖母についてお話ししておきます。

祖母は亡くなる約2年前に認知症が発覚し、主に母と妹が祖母宅へ行き様子を見ていたんですが症状が強くなったのでグループホームへ入所してもらうことに。

母と妹の負担が軽減されるとホッとしていた矢先にホームで大腿骨を骨折し入院。

グループホームや骨折で入院する前は、体は小さく痩せてはたものの食事もしっかり摂り問題なく元気に過ごしていたのですが、ほとんど食べられなくなりどんどん弱っていきました。

そしてその病院であまりいい扱いを受けられず、精神的にもつらそうだったので退院。

グループホームでの生活をリスタートさせることができたのですが、今度は早朝に意識不明で発見され救急搬送。

そのときの医師に「もしものときは延命治療をどうしますか」と決断を迫られるほど状態はよくありませんでした。

そこから約数ヶ月、緊張がつづく毎日を過ごしたのち症状が落ち着いてきたので、他の病院に転院します。

その病院で約1年過ごし、衰弱で亡くなりました。

主治医からは「寿命ではない」と言われショック。きっとしっかり食べて体力を回復させていたら、また元気に過ごせていたかもしれません。

大腿骨骨折から坂道を転げ落ちるように体力が落ち、自分で食事も摂れなくなり少しずつ弱り亡くなりました。

尊厳死について希望を聞いておけばよかった

これは本当にみなさんにも実践してほしい内容です。

尊厳死とは終末期において延命措置を行わなず、人としての尊厳を保った状態で死を迎えることをいいます。

祖母の場合、意識不明で搬送された際、担当の医師に「もしものときに延命措置を行うかどうか考えておいてください」といわれました。

ただでさえ祖母が救急搬送されショックで動揺しているのに、追い打ちをかけるように命の選択を迫られたのです。

「高齢であること」「心臓マッサージで肋骨が折れる可能性がある」それでも延命措置をするかどうかという問いでした。

もちろん生前にそういう話しをしていても、患者の希望どおりにならないこともあります。

尊厳死を受け入れると伝えてあっても家族がそれを拒否することもあるでしょう。

しかし、祖母の場合はまったくそんな話しを家族でしていなかったし、本人は意識がないので希望なんて訊けるわけがありません。

そんな決断を迫られたわたしたちは「どっちか選べなんて無理だよ」「ばあちゃんはどうしてほしいんだろう」「正直、選べないよ」と戸惑い悩み、大きなストレスを感じていたのが本音です。

結局、それから持ち直し1年ほど祖母は生きますが、最期を迎える病院ではおそらく延命措置は行わず旅立ったんだと思います。

もっと会いに行ってあげればよかった

高齢母と娘の手

これは入院中というより、それ以前からですね。

祖父母は、もともと他の県に住んでいましたが、わたしが中学生の頃に隣町に越してきました。

そしてわたしが、高校2年生になった春ゴールデンウィーク前に祖父が胃がんで他界。

祖父が亡くなってから約10年、祖母はひとりで全く馴染みのない土地での生活にストレス、寂しさがあったんだと思います。

積極的に外に出るタイプではなかった祖母には、こっちで友だちがいたわけでもなく趣味を楽しんでいたようには見えませんでした。

一時期、わたし以外の家族が祖母の家で一緒に生活していたこともありますが、生活習慣の違いなどからお互いにストレスがたまり、別々に暮らすことに。

わたしは最初から、祖母を少しうっとおしく感じており一緒には生活できないと思っていたので距離をとっていました。

その方がお互いの精神衛生上いいと思ったからです。

それはそれでよしとしても、近くに住んでいたのであれば月に何度か顔を見せてお茶したり買いものを手伝ってあげればよかったと今になって感じます。

「寂しければ言えばいいじゃん」と思っていたこともありますが、日本人はおうおうにして人に頼ったりするのが苦手です。

また高齢になると余計に頼りにくくなるでしょう。迷惑をかけたくないという思いから言い出せないこともあると思います。

それにもっと敏感になり、気遣ってやることができれば祖母のストレスも軽減し認知症にもならなかったかもしれません。

それに関しては本当に祖母に寂しい思いをさせて悪かったなという思いです。

高齢者の身体的衰えについてもっと気づいてあげればよかった

嚥下障害

これも「もっと会いに行けあげればよかった」と似たような感じですが、高齢者の身体的な衰えについて理解すべきだったと感じています。

もちろん高齢者は足腰が悪くなり歩行が難しくなる、認知能力が落ちる、尿失禁、入れ歯になるなど一般的な知識はありました。

しかし、わたしの頭にあった認識はしょせんその程度です。

また、よく高齢者が誤嚥性肺炎で亡くなるのは知っていましたが「なぜそうなるのか」あまり理解できませんでした。

でも祖母がなかなか食べられずいたときに「こんなにも食べる、飲み込むという能力が落ちるのか」とはじめて知ったのです。

本当に情けないですが、高齢者と一緒に生活したことがなく人間が老いていくとどうなるのか、深く理解していなかったのでそのときの祖母の姿に大きなショックを受けました。

わたしたちが普通にできていることが、高齢者になるとどんどんできなくなっていく。

「衰えていくっていっても、このくらいはできるでしょ」と思っていました。

でも本当に赤ちゃんとは逆にどんどんできないことが増えていくんだなと今では理解しています。

本人としても、今までできていたぶん思いどおりに体を動かせないストレスは相当だったはずです。

このことで分かったのは、高齢者はわたしたちが思っている以上に身体的な老いが体を不自由にさせているということ。

またそれが大きなストレスとなり不安や恐怖を感じていること。

もちろん元気な高齢者はいて、身体的能力が優れた人もいるでしょう。

しかし一般的には、うちの祖母のように今まで元気だった人でも、嚥下能力が衰え自分で食事ができなくなったり、誤嚥性肺炎になる可能性が高くなるのは確かです。

そのことから今は高齢者に対し、さらに気を配る必要があるなと感じています。

知ってほしい高齢者を殺す死の骨折

大腿骨とは脚の付け根(太もも)の骨です。人間の骨格のなかで1番長く上半身を支えたり歩くのに重要な部位といわれています。

そんな大腿骨を祖母が骨折したことで知ったのですが、高齢者は骨密度や体力の低下などから大腿骨を骨折した後1年に死亡する確率が上昇するということ。80歳以上で20%、90歳で30%にもなるとか。

女優の樹木希林さんも大腿骨を骨折後、亡くなりました。
参考 樹木希林さんを襲った「大腿骨骨折」内田裕也さん死因は「肺炎」!高齢者は骨とのどを鍛えるべし介護ポストセブン

思うように動けず転倒する可能性が高い高齢者にはとくに注意してあげてほしい点のひとつです。

さらに入院生活で寝たきりとなり筋力も衰え認知症も進行していく悪循環。

実際、祖母も大腿骨骨折から寝たきりとなり食事の量が減り体力が戻らず亡くなるまでベッドっで点滴に繋がれたまま体を動かすことなく衰弱していきました。

このように元気な人でも大腿骨の骨折から一気に弱っていくことは考えられるので十分注意してあげてください。

ハグして愛や感謝を伝えておけばよかった

ハグするおばあさんと孫

これは入院する前からすべきだったことですが、とくに後悔している場面が骨折が治り入院先からグループホームに帰ってきたときに顔を見せにいったときです

認知症を患っていたので、わたしたち家族のことを本当に理解しているのか分からないときもありましたが、あのときはきっと認識してくれていたと思います。

そのとき一緒についてきてくれたパートナーが「ハグしたら?」と提案してくれたのに、照れくさいのと小さくなった祖母の体にハグするのが怖くてできなかったんです。

もともと小さく痩せている祖母でしたが、入院してからさらにやせ細り本当に骨皮状態だったので、ハグするとそれがダイレクトに伝わりショックで耐えきれないと思いできなかった。

でもあのとき彼の提案どおり、ハグして「愛しているよ」「わたしを愛してくれてありがとうね」と伝えるべきでした。

その日は祖母がずっと会いたがっていたパートナーとの初対面で「よか男たい(いい男だね)」と言ってくれたのが嬉しかったのと、ニコッと微笑んだ笑顔がとてもかわいくて忘れられません。

そのときハグや気持ちを伝えられなかったので、葬儀の際に棺に入れるメッセージカードに上記の言葉のほかに「また来世で会おうね」と書き祖母と一緒に旅立たせました。

意思疎通できる手段を設けるべきだった

マル・バツ

入れ歯を作り直す前だったので入院中はずっと入れ歯なしで生活していました。

そのため発音がしにくくなったのと、どんどん弱っていくので声も小さくなって聞き取りづらくなっていきました。

そのときにパートナーが『「はい」「いいえ」とかを指差しできるボードみたいなのがあればいいのにね』と言ったんです。

そのときは「そうだろうけど、理解できるか微妙だな」と感じてとくに何もしませんでした。

だけど今思えば簡単でいいからノートにでも書いて見せてみてもよかったかもしれない。

何か用意しなくても「嫌だったら2回まばたきして」など本人ができそうな意思疎通の方法を試してみてもよかったかもしれない。

今だったらスマホだてあるし、お店にもあいうえお表なんかも売っているので、もっと工夫できたことはあったなと感じています。

自分の本意や希望を伝える機会を失った祖母には、とてつもない大きなストレスを与えてしまい申し訳ないとしかいえません。

本当は「こうしてほしい」「ああしてほしい」という気持ちを伝えたかっただろうに、理解できず曖昧にしてしまった。

もっと理解したかったのに上手くできなくてごめんね。

祖母の「死」から学んだこと、今後に活かしたいこと

家族団らん

今までお話した祖母の「死」で後悔したことは今後の生活で活かすつもりです。

ひとり暮らしをしている母とは少し関係をこじらせていますが、大切な家族ですし愛しています。

今までは「とくに話すことなんてないな」と思い、パートナーと一緒に過ごすようになってからはほとんど連絡をしていませんでした。

でも今なら少し母の気持ちも推測することができます。きっと母も寂しいはず。

わたしが体調悪いから気を遣っていることも分かる。

だからこれからは月に一度でもお茶したり買いものに付き合って話しを聞くのもいいかなと考えています。

また、外国籍パートナーの影響もありハグや感情をストレートに表現するようになったので、母にも伝えたいことはしっかり言葉と体で表す。

ハグには戸惑うかもしれないけど、そこは慣れてもらいましょう。

そして、祖母の「死」で学んだ尊厳死や終末期の医療ケアなどの希望を元気なときから家族で話し合っておくこと。

これは本当に必要だなと感じています。

母から順番に老いていき、年齢的に次は母と思っていても、突然わたしが事故や病気になることだってある。

だから「もしものとき」どうしてほしいのか希望はきちんと家族間で共有しておくべきだなと感じています。

そうすることで遺される家族の精神的ストレスは減り、本人も納得した自分らしい最期を迎えられるのではないでしょうか。

以上のことからみなさんも、これをきっかに大切な人へ言葉や体を使い気持ちを伝え「もしものとき」のために人生会議を家族みんなで行いお互いの考えを共有しておくことをおすすめします。

わたしのような思いをしないで済むようにこの後悔したこと、学んだことがどなたかの役に立てば幸いです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

最後に人生会議についてと関連する記事を紹介しているので、そちらもぜひご覧ください。

人生会議について詳しくは▼
参考 人生会議とは?ゼロからはじめる人生会議

自分らしい幸せな最期を迎えるために家族と話し合っておくべき3つのこと 終活を親と話し合うきっかけは?わたしが50代母にエンディングノートを渡して話したこと